越後の虎 その1
日本史の中で、「越後の虎」・「越後の龍」と称された長尾景虎。 1530年室町幕府の越後守護代長尾為景の次男として生まれ、為景没後、 病弱だった兄の養子になり家督を継ぎます。 その後関東管領職の上杉家を譲りうけ名を上杉謙信と名乗るようになり ます。 謙信は自らを毘沙門天の生まれ変わりと称し、義の元に戦ったとされ、決 して私利私欲のための領土拡大を狙った戦はしませんでした。 謙信の最大のライバルは甲斐の国主武田信玄。甲斐の国が大変な塩不足 になった時、上杉謙信は武田信玄に塩を送ったといわれています。 (現代の通説では単に商売上のものであったと研究されています。) 相手の弱みに付け込むような戦は絶対にしなかったという例です。 「毘」を旗印に掲げ、神がかり的な強さを見せた上杉謙信。武田信玄との 数回に渡る川中島の合戦にも決して謀略を使わなかったといわれてい ます。 現代には「戦には滅法強さを見せたが、内政は下手であった」と伝えられて いますが、近年の研究で実際には通商制度を充実させ莫大な財を築いた とも言われています。