越後の虎 その3
日本史に残る合戦記録の中で第4次川中島合戦ほど激烈な戦はなかった のではないでしょうか?死傷者だけを数えれば、もっと多くの死傷者をだし た合戦はいくらもあります。 上杉軍1万8千(このうち善光寺に5千が後詰として残ったので実数 1万3千)、武田軍1万6千、両軍合わせて3万1千。 善光寺を出撃した上杉軍は妻女山(JR篠ノ井駅より東)に陣を敷きます。 武田軍は海津城へ入城。妻女山から海津城を望んだ時、いつもより多くの 炊煙が立ち昇るのを見た謙信は、信玄が奇襲してくることを看破します。 本陣のかがり火を多く炊かせながら、ひそかに妻女山をおりることを全軍 に指示し、八幡原に布陣します。 武田軍別働隊1万2千が奇襲をかけるも本陣は見事に空の状態。武田 本隊は4千の兵をもって海津城より出撃、八幡原に着陣。 翌朝霧の薄れるのまって謙信は一気に信玄の本陣めがけ突撃します。 この時謙信軍1万3千、対する信玄軍は4千。謙信は車懸の陣形、迎え 打つ信玄は鶴翼の陣。鶴翼の陣は通常少数の敵を包囲殲滅する陣形 ですが、なぜ少数の信玄軍がこの陣を敷いたのかは謎のままです。