越後の虎 その4
日本史史上一番激戦であったとされる第4次川中島合戦。 上杉軍13000対武田軍16000。この合戦で上杉軍の死者3400人、 負傷者6000人。武田軍の死者4600人、負傷者13000と言われて います。上杉軍の25パーセント、武田軍の29パーセントが戦死しています。 日本史史上これほどの激戦は他に類をみません。この数字をそのまま 信用はできません。本当の数字については謎が多いのですが、今の戦争に たとえると3割近くの戦力を失うと「壊滅」状態と言われます。 もうその軍隊は立ち直ることができません。 近隣の諸大名武将たちは、なぜこのチャンスに越後や甲斐へ侵攻しなかっ たのでしょうか? この合戦以降謙信と信玄はお互いを最大のライバルと認識しあいます。 武田信玄が上洛を目指し、病気で倒れるころ、跡継ぎの武田勝頼に「越後の 上杉を頼れ」と遺言を残します。 後年武田勝頼がどれほど上杉家を頼りにしたかは謎ですが、同盟を結び 天下を統一しかけた織田信長の脅威になったことは間違いありません。